WORK

今までの仕事を振り返って、20年の軌跡

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●無印良品の家 2004.10-
それ以前の仕事についてはまた次の機会にかくとして、まずは今の仕事に大きな影響を与えた無印良品のことから始めます。この会社には住宅事業の事業責任者として入社。2007年に取締役に就任。雑貨や衣類を扱う会社が住宅を作るという大きなチャレンジでしたが、前職で資生堂との住宅タイアップからの流れで展開しました。住宅会社でない企業が住宅を作るということに大きな関心があったのです。プロジェクトが始まった1年後からの参加でした。すでに難波和彦氏が設計する家を基本に「木の家」と題して商品開発が勧められていました。構造はSE工法を使うということですでに合意していましたが、その販売方法や商品についても未完成の部分が多くあり、また建築のキャリアを持たない人との運営というある意味共通言語を探ることからのスタートとなりました。住宅会社でない会社で作る意味は日本の住宅の歴史観に左右されないという可能性に魅力を感じていたものの、住宅以外の歴史観や価値観に縛られるという矛盾も持つことになりました。そんな中でも2006年の春には「窓の家」という第二弾の商品の販売開始。そこでは商品開発から手がけることになりました。2つの商品とも多くの雑誌に取り上げられたり、賞を取るなど、高い評価を得たのですが売り上げは厳しい状態でした。入社時点では仕様の標準化や価格の決定、販売方法、販売拠点やエリア戦略などを策定しました。当初数年間は、売り上げが伸びずに、販売に苦戦し、内部組織にも多くの矛盾を抱え、多くの人材も流出、また意見の食い違いから自分自身も第一線から離れることになるのですが、その際始めた暮らし研究がのちに大きな販売貢献へと発展したと信じています。その時に学んだことは多くありその後の活動の原点となっています。このプロセスで学んだことは、特に商品開発と同様に価値の伝達というプロモーション手法に鍵があるということへの気づきでした。
創業期は自分自身も店舗に立ち、接客をしました。その登場の仕方は華々しく、モデルハウスには多くの人が訪れ、多い時には1日に200人近くも来場。家の形や大きさは16種類と限定しました。価格も決め、土地に合わせた変更はしないという企画です。しかしながら注文住宅でなく、プロットタイプ売りという概念の普及が予想より難航しました。初年度に販売拠点を20箇所までにしたのですが、初年度販売実績は数棟に終わったのです。

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その打開策として2つ目の商品として作った「窓の家」は、「木の家」で課題だった一室空間ということに、内部にも窓の開いた緩やかな境界線を作ること、屋根の形を、箱形から切妻というより一般解の家として開発しました。この商品ができたことで、窓の家そのものの魅力もあったとは思いますが、木の家と窓の家が2つあることでユーザーの選択肢を広げたことで、意思決定のプロセスに変化を与えたことなど大きな効果を作ったと考えています。この窓の家は建築家隈研吾さんにアドバイザーになってもらいました。またその原型は、建築家染谷正弘さんになってもらい、イギリスのコッツウェルズ地方への旅も重要なプロセスでした。

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「窓の家」の商品開発では「木の家」で学んだ間取りの開発方法を進化させて手法を確立させました。奥行きと幅を設定しそのマトリックスを埋めていく手法は、その後の商品開発の手法の基本となります。ポイントは玄関と階段との関係、水回りの位置を決めていくことなど、多くの気づきがありました。その当時は奥行き3間、幅5間というのが中心に商品開発をしてのですが、現在は奥行き2.5間、幅6間というのが理想だと考えています。この考え方に至るのにやく15年が経過しています。窓の家の特徴は、窓を自由にどこにでも配置する、窓から家を考えるというコンセプトでした。一般的に、窓の高さを揃えることを基本とするのが建築の常識ですが、あえて窓を揃えないこと、大きさや高さ、位置を自由に配置することを前提にデザインを行いました。窓の大きさを数種類用意し、それを組み合わせるという手法で、結果的に窓の種類を少なくしながらユーザーの選択の自由度を上げていくことに成功したとも言えます。また窓をどこに置くかという、特に都市の中では、隣地との関係から、窓によってどのように風景を切り取るのか、そこに意識を向けることにも繋がりました。

⚫︎みんなで考える住まいのかたち 2007.12-
このプロジェクトが始まったのは、私が家の事業責任者から離れたことがきっかけでした。新たな部署としてこの研究所を開設しました。それは、思うように販売の成績が上がらずにいたので、そのことを考えるにも良い機会でした。また事業の一線から離れることで、商品がどうして売れないかというより、より根源的な課題として「いったいみんながどんな暮らしをしているのか」、そのことに興味が湧き、研究所の設立に至ったのです。その成果は期せずして半年でウェブ会員数が6倍、1年間で10倍までになりました。その効果は販売にも大きく寄与したと考えられるのですが、スタートでは販売のために行ったのではなく、あくまでもユーザーとの対話が目的でした。しかしその頃から売れ始めた経緯を考えると、最後に到達したことは、「対話そのものが、商品の価値を伝える基本なのだ」ということでした。この時期に学んだことは多くあるのですが、一番の学びは、問題を解こうとした時に、ボリュームマケットよりマージナルにいる人の話の中に大きなヒントが隠されているという点です。その後の活動では平均値より平均からいかに離れた点を観察するのかという方法論に着目するようにもなりました。他にも、観察手法について多くの仮説を手にした時代でした。また様々な建築家の取材からも多くを学びました。この研究所の設立によって、その後の私の活動の大きな転機となったことはありがたいことでした。商品開発が商品開発だけで存在するのでなく、ユーザーとの対話を含んで存在することの重要性、価値をどう伝えていくかという、プロモーションの重要性に気づいた点、そして何より人々の暮らしを分析するという活動がスタートする機会を作った活動と言えます。

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住まい手によって自在に暮らしのかたちを発想でき、そして時に応じて変えられる丈夫で可変性に富んだ家を提案する「無印良品の家」。その「無印良品の家」を展開するムジ・ネットのWebサイト「みんなで考える住まいのかたち」では、会員の方々に普段の暮らし方やキッチン、リビング、ダイニング、寝室などの間取りについてさまざまなアンケートを行っています。のべ約10 万人から寄せられたこれら住まいに関するアンケートからは、現在の日本人のライフスタイルや空間への思い入れが浮き彫りにされます。
本書はのべ約10 万人から寄せられた住まいに関するこれらのアンケートを基に、これからの「住まいのかたち」をまとめたものです。間取りを中心にいろいろな角度から理想の姿と重ね合わせ、その結論としていくつかの間取りを提案しています。

⚫︎無印団地再生プロジェクト 2009.10-
このプロジェクトを行った時はすでに無印の直接的な住宅事業からは離れていましたが、より大きな意味で無印の外部との繋がりを作っていた時期です。まず初めはOpenAの馬場さんからの紹介で、基本プランを馬場さんが行い、無印とURでのコラボレーションを始めたことがきっかけでした。ここでは全体のプロデュースと方針を決めることが自分の役割でした。特に、一部屋あたりの改修費を200万円という低予算に抑えるために、鴨居や敷居を外さないという方法や、床の不陸を20ミリ以下であれば直さないなど、多くの試みを行う機会となったのです。その後のリノベーションはMUJI HOUSE内部(リーダー豊田氏)で行いましたが、この時期私自身が自ら連載した、団地再生物語はいまだにその意義を感じています。団地をホテルに再生、二部屋を借りて、二世帯で、またはオフィスにするなど、他にも一階にカフェを作るとか、団地の持つ環境を現代の暮らし方に合わせて価値を再度作り出す可能性を示してきました。また、この時に、大阪の千里青山台団地で行った、400人の食事会は意義のある成果であった。担当したのは今TABI LABOの代表を務めるBINちゃん(久志尚太郎氏)でした。当時の住人祭と呼ばれる無印企画のお祭りを踏襲、その後のデベロッパーでの入居者イベントの活動の指針となります。現在(2023年)アドバイザーを務めるデベロッパー、フージャースコーポレーションでの「ご近所サンデイ」もこの延長線にあると考えています。無印においては、リノベーション事業はその後独立して今は事業部として発展、URとのコラボも続いています。住人祭は、現在残念ながら行っていないようです。

団地再生物語
https://house.muji.com/life/clmn/aoyamadai/aoyamadai_131129/
https://house.muji.com/life/clmn/danchi/danchi_120417/
住人祭
https://house.muji.com/life/lafetedesvoisins/

⚫︎くらしの良品研究所 2008.08-
この研究所の構想は、前述の「みんなで考える住まいのかたち」という取り組みから生まれました。研究所メンバーには小池一子氏をはじめ、歴代の無印への貢献してきたメンバーが加わった。所長は小池一子氏に。バックボーンも違うので、目指すところも多少違っていたようですが、深い見識に基づき、丁寧な暮らしという大きなコンセプトをたてた展開しました。しかしながら今思うとアンケートへの取り組みは人によって考え方が随分と違ったようだと思います。一般にアンケートから、直接的なニーズを拾い、商品開発へと繋げていきたいという考えと、私のようにアンケートは暮らしへの思いを拾い上げるためのツールだと考える立場とは根底で大きな差があったように思えます。企業の中での研究所は、常に売り上げに、または商品開発へと繋げたいというのが自然な動きでもありますが、そのプロセスと一番遠いところにこそ未来へのヒントがあるのだと今でも思っています。もちろんどの取り組みにも、何が正しいかは言えないのですが、いまだにこの矛盾は、さまざまな企業との取り組みの場面であらわれます。私は、アンケートへの向き合い方として、人の行動に着目して、その裏側にある深い意識に注目していきたいと考えています。この研究所の取り組みの時代の成果は、建築を離れてさまざまな分野の人への取材が行えたことでもありました。特に自然への取り組み、農作物への取り組み、衣類などの染料や繊維といった分野での取り組みは今の活動の基礎になったと言えます。
自分が書いたこの時代のコラムでエポックだったものをいくつか選んでみました。残念ながらこの「くらしの良品研究所」という企画は2022年に終了しているようです。

清華大学美術学院主催の雑誌「装飾」にて記事を掲載いただきました。(2017年)

⚫︎デベロッパーサポート 2008-
無印良品での活動と同時に他の企業の顧問として、それぞれの会社の研究所の設立や、サポート、またそこでの商品開発もサポートするようになりました。すでに2008年には無印を正式に退職し、アドバイザーとして無印に関わるようになっていました。暮らし調査という分野での気づきは、前述するように、アンケートからニーズを導き出すという手法を取らずに、生活調査を継続的に進めながら、そこでの気づきを形にしていくことに勤めました。様々な企業の研究所のサイトはすでに無くなったものももあるし、活動自体が変化を遂げたものも多くあります。しかしそれらが様々な形で発展した時代とも言えます。

三菱地所メックエコライフ「スマイラボ」
東京建物(現在は名前を変えて運営しているよう、当時とは大きく変わっている)https://tokyocompactlife.brillia.com/
キリン生活研究所(現在は未来シナリオ会議https://wb.kirinholdings.com/
lixil キッチン会議(現在は名前を変えて運営、当時の記事はデザインフォームを変えて残っているが、少し手を入れているよう。)https://www.lixil.co.jp/square/kitchen-kaigi/column1/
あったらいいなこんな住まいの本を紹介

間取りから考える、新しい暮らしの可能性。 三菱地所グループの暮らしの研修室「スマイラボ」が提案する住まいに関するアイデアとヒント満載。

 

⚫︎商品開発 2008-
数々の企業のサポートでは、研究所までの設立には至らなくとも、商品開発やプロモーション戦略の手伝いを多くしてきました。また最終の商品開発に至らなかった取り組みもあります。しかしそのプロセスで考えた暮らしへの提案は大いに勉強になり、その後の活動の基礎を作った時代でした。また当時一緒に組んでいた、CD(クリエーティブディレクターの大河内さんは生涯の同志として多くのプロジェクトを行いました。彼が奥さんに連れ添ってポートランドへ移住したことで、デベロッパーの単発での商品開発の仕事もそれ以降は基本的に断りました。彼の存在なしには、成立しないと思ったからである。また図面を書いてもらうのに、大学の後輩でもある佐藤圭さんには長いことお世話になっています。私のあらゆるスケッチを図面化し、時には私以上の提案を加えてもらっています。彼らの力添えなしには今の成果はないとも言えます。佐藤氏は初期の頃は良品計画グループのイデーに在籍していましたが、その後独立して現在は「TENHACHI 一級建築士事務所」を主催。今でも私の仕事をサポートしています。

⚫︎住宅メーカーサポート 2008-
無印良品の家の開発を経験に、いくつかの企業の住宅の商品開発を手伝いました。その中でもロイヤルハウスでは9坪二階建て、一部吹き抜けの家を2棟で1000万以下で作るなどの経験をしてローコストへの取り組みの仕方も学ぶことになります。無印時代にもアキュラホームのメンバーやアイフルホームの役員などもいたことで学ぶべきことはたくさんあったのですが、どうしても実現できなかったローコスト住宅の方法を自ら実践してみる機会があったのは大きな収穫でした。商品開発においてはその方法は成熟度を増していきましたが、商品を売るためには、その伝達方法に課題がある。そのためにもパンフレットや告知方法、ウェブサイトなどの構築も一緒に手がけるようになりました。成功した会社もありますし、成果に結びつかなった会社もありその原因やプロセスを考えると、今後の商品開発や取り組みの仕方に大いに参考になっています。

⚫︎HOUSE VISION 2010-
この取り組みは、グラフィックデザイナー原研哉氏及び株式会社日本デザインセンターさんとの取り組み。2010年から活動を開始、2010年には中国での活動も経産省の支援を受けて開始しました。企業と建築家及び研究者とで、企業のテクノロジーを活用してそれぞれの国で未来の暮らしを考えることをテーマに。アジア8カ国(インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、中国、台湾、韓国と日本)で活動を行うようになり、スポンサー探しから建築家とのコーディネートまで全ての段階をリードしてきました。特に中国に行って、日本の暮らし以上にアジア各地の未来像に興味が湧き、アジア中を飛び回る暮らしを続けていました。この習癖はコロナに突入するまで続きました。HOUSE VISIONは初期の頃はテクノロジーの進化が暮らしをどのように変えるのかということがテーマでした。そして2016年の2回目になるとシェアという暮らし方への変化がテーマになります。この時期、それぞれの国でそれぞれの企業の課題に向き合い、話し合ったことは大きな気づきがあったことはもちろん、さらにそれぞれの国の文化的背景を知ることにも繋がったように思います。特に中国との関係は深くなり、HOUSE VISIONの活動のあと、2018年以降も深圳をベースに活動することになったのはHOUSE VISIONのおかげです。アジア各地の第一線の企業や建築家とも繋がりを深めたことも勉強になりました。展覧会という形で実を結んだところは少ないですが小さなイベントや討論会などを数多く行って、その度ごとに成果を発表できたのは、建築家のエネルギーの賜物です。感謝に絶えません。2018年の中国のHOUSE VISIONを最後に、そのあとを後任に譲りますが、良い経験をしたと思っています。この2018年頃から、私の中では建築がよりスタンダードの質の追求ということにシフトしていったように思います。

⚫︎深圳での展覧会 2018-
中国深圳で行われた深圳家具協会主催の大型展覧会の住宅部門の企画と展示場設計を担当しました。初めの1年はコンテナハウスの小さな家の提案を、2年目は日本の建築家と中国の建築家でシェアというテーマで、3年目は日本から建築家30名を招いて様々な角度で未来の建築のあり方を提案しました。3年目の展覧会直前でコロナが発生して、4年目以降がなくなりましたが、歴史的な事件に遭遇し、そのことで中国、世界の暮らしが大きく変わりました。

⚫︎中国暮らし調査、間取り研究 2018-
様々な企業からの仕事で、常に現場での取材を組み込み、調査を行ってきました。中国の暮らしの変化を読み解きながら未来の暮らし像を模索し続けてきました。それは今も変わらずにその機会を探し続けていますが、2020年以降、コロナにより仕事数はめっきり減ったことは確かです。その中で、2021年から22年の春まで行った、中国での間取り集出版への取り組みは意義深かったと思います。完成間近に、企業が倒産したために未完に終わってます。途中までですが、中国マンションの間取りへの提言としてまとめています。

⚫︎ニセコのまちづくり 2020-
2020年春にニセコに「ニセコまち」というまちづくり会社ができ、その会社の設計顧問として、計画の基本構想を行いました。ニセコの町の人口は5000人強ですが、その10分の1の人口を吸収できる街区を中心市街地の境界線に計画しました。この企画はニセコ町がSDGs都市宣言として内閣府で採択された未来に向けての都市作りとして取り組む物ですが、主体は民間事業となります。この計画では2つの大きな課題がありました。一つは人口が微増するこのまちで住宅が足りないという住宅供給不足に対する課題。もう一つが低エネルギー住宅に向けての改善提案として高性能な低エネルギー住宅とエネルギーインフラの新たな提案という課題です。ともに2050年までに気候中立を目指すという国の指針に合わせています。建築的な課題としては、大きな広場を確保し、既存の住宅地の視線を妨げないために、中廊下型の家にして南北軸より高密度を優先させ、大きな広場を儲ける計画にしました。特に北海道は雪の多い地域ですので、日射より、周りの風景との共存を計った配置計画を優先させてみました。また川沿いの敷地を生かして、水系により親しめる形として計画を行いました。計画は完成して、その後の実施設計を後任に委ね、その後を見守っています。この後に触れる都市未来研究会の活動と合わせて、町の計画とは方向が違うためにその後の活動からは退くことになりましたが、計画はあくまで私が作ったのでその実現と経過は見守りたいと思います。
またこの間、浮上したニセコ高校の寮の建て替え計画もあり、そこで作った計画も載せておきます。

⚫︎都市未来研究会 2020-
ニセコのまちづくりを行いながら人口縮退の未来について多くの課題が浮かび上がってきました。それは長期的には人口が減る社会になぜ新しい街区を作らなければいけないのかということです。確かに現状住宅供給不足はあるし、温熱環境の水準の低い建築物も多くあり、高性能な断熱住宅と低エネルギー住宅への課題は大きかったのですが、しかし新たな街区を作ることに生じるさまざまな課題、特にインフラへの影響は解決しないままプロジェクトは進んでいくことに大きな疑問もあったのです。そこで2020年の12月に、縮小社会の未来像をニセコから考えるという研究グループを立ち上げてプロジェクトとは別に中立的な立場としての研究を始めました。中立的とはいえ、研究が進むにつれて、行政のまちづくりへの計画にもさまざまな課題があり、より具体的な計画の必要性を感じたのです。1年間という短い時間でしたが、毎月の公開定例、その間に行われる各グループの研究発表は多くの示唆を得ました。その中から建築チームで行った、パターンランゲージの研究は、一年公開定例を終えた後でも継続し、2023年9月に出版の予定です。ここに改めて、研究会の趣旨と研究チームのメンバーを起しておきたいと思います。
出版する本は、ニセココードとしようと考えていましたが、ここニセコではその実現までの道のりに時間がかかることを考え、どこの地域でも必要と思われる考え方としてまとめ「小さな村づくりコードー・ニセコで考えたこと」としました。
ここに目次と執筆編集挿絵メンバーも紹介しておきたいと思います。またこの間様々な開発プロジェクトの住民説明会にも参加したことは課題の整理にもなりました。本の中にもそのあたりのことに触れてみました。https://toshimiraikenkyukai.com

⚫︎村づくり 2022-
小さな村を作る。2020年の秋、ニセコの農村で、この構想が始まります。
これからの未来に。。。どこで、誰と、どんなコミュニティの中で暮らすのだろうか。
その時どんな仕事をしていくのだろうか?
それはどんな暮らしなのだろうか?

都市未来研究会で発見した仮説を重ねながら、未来の社会のあり方を具体的に提示しようと思い、いくつかの計画が始まります。根底に流れるテーマは若い人たちがどうやって農村で豊かな暮らしを手に入れることができるのか。家への投資をどのようにしたら小さくできるのか。現在ニセコの近くの喜茂別町知来別で建設が始まります。この地域はかつて400人も人が住んでいたのですが今は一人だけが残りましたが、皆、大きな都市へと移住してしまいました。そのため今では自然豊かな人工物のない環境となっています。構想としては全部で30前後の家族、そして同じ数のゲストハウス、住人である定住村民を30家族、通い村民と呼ばれる不定期で来る会員150人を新しい集落として、広大な敷地の中に作ります。30のゲストハウスは年3割は宿泊用として、7割は会員のために開放します。これによって会員はわずかな会費でいつでも好きなだけ無料で田舎ぐらしの体験ができるようになります。またすべての建物はセルフビルドで自分たちで建てる予定です。イニシャルを抑え、かつ宿泊で収入を得ながら小さなお金で暮らす大きな実験です。何年かの後、この投資が宿泊によって回収され、本当にわずかなお金で暮らせる社会を作り出そうと考えています。工事は2023年から始めますが、構想の形が見えてくるまで3年、全体では10年はかかると考えています。 詳しくはこちらウェブサイトをご覧ください。

⚫︎編集後記とこれから
今までの仕事を振り返る良い機会となりました。そして仕事というより、今までの生き方を振り返る機会とも言えます。無印以前の仕事のことには触れなかったが、振り返ると全てが繋がっていることや、人との繋がりにも改めて感謝しています。まだまだ書き足りないこと、また紹介したいことなどもたくさんあるのですが、過去を振り返ると同時にまだまだ先に進むべきことがたくさんあり、今後時間を見つけて補足追加していきたいと思ってます。このサイトは2023年春に書いたのもので記憶に頼っている部分もあるので、間違いもあるかもしれません、そのあたりは許してもください。ただこのサイトを更新した理由は、自分の仕事を紹介することは今まで積極的にしなかったのですが、これからの生き方の転機として一度まとめておきたかったし、今までの経験があるからこそ、できることもあるのだと考えています。この先は村づくりへと突き進もうと思っていますが、さまざまな困難がありそうです。特に資金面では大変です。とはいえ今までの資本主義経済から脱却は、本質的なテーマであり、自分の人生最後の大きなチャレンジとも言えます。道なかばにならないよう健康にも気をつけて進めていきたいと考えています。住宅の設計の依頼もあるものの、基本はそうした仕事はできるだけせずに、村づくりのための施設や家の設計だけに注力して行こうと考えています。

業務及び取引先一覧

ー 連載中のコラム ー
LIXIL 建築家とトイレの話

ー 過去の執筆連載コラム ー
無印良品の家 みんなで考える住まいの形
無印良品 くらしの良品研究所
三菱地所 スマイラボ
東京建物
キリン食文化研究所(現ウェルビーイング研究所)
フージャース 欲しかった暮らしラボ
LIXIL キッチン会議

ー 取引先 ー
フージャース
LIXIL
キリン
一般社団法人ケアリングデザイン

ー 過去の取引先 ー
ウェルネストホーム
マングローブクリエーション
三菱地所
東京建物
ロイヤルホーム
野村不動産
三井不動産

ー 中国の主な取引先 ー
深圳市家具行業協会
KUKA
深圳金鑫緑建股份有限公司
打扮家